与える人は許される
私は昔から劣等感が強いです。
なんでも他人と自分を比べて、「なんであいつにできて俺は」って思ってばかりです。
ただ、同時に「あいつができるなら俺も出来る」とも思っています。
周りをみて違いに気付くという感じでしょうか。
そんなことばっか考えてるので理想の男性像のようなものが頭の中にあります。
心理学で「モデリング」というのもあります。見本を見て真似する的な。
でも私がやってるのはそんな大それたことじゃないと思うけど。
とりあえずある日考えてたんですよ。
「なんで俺に関わる女の子は俺に怒ってばっかりなんだろう」
「あいつはなんでいつも女の子と楽しそうなんだろう」
「全く同じことをしても許される人と怒られる人がいるのはなんでだろう」
つって考えてたんですよ。ぶさいくなあほ面で。
与える精神
その差は与えると求めるです。
セトモノとセトモノ
というCMがありました。
ぶつかるとどっちも割れるってやつです。
「たまには洗い物やってよ」
「仕事で疲れてんだからお前がやれ」
みたいなよくあるやつは求め合ってます。
「他人を変えたいと思わずに自分が変われ」
というのもよく見ます。求めないで与えて、ということを言っています。
私は家に帰ってきたら脱いだ靴を揃えていますが、揃えるのは自分の靴だけです。
これを与える精神で、同居人の靴も揃えてあげようと思いました。
見返りを求めずにひたすらやり続けます。アガペーアガペーつって。ちがうか。
もしかすると同居人も靴を揃えるようになるかもしれませんよね。
1週間でなるかもしれないし、もしくは10年かかるかもしれません。
というのが、自分が変われば他人も変わるという事です。
なので「~されたい」「私だけ~してくれない」と思うのであれば、まずは自分が~を与える気持ちを持つと良いです。
前に輝きてぇねで書いたことと似てますけど。
とりあえずみんなで靴揃えようぜ!!